日本中央競馬で三冠に輝いたディープインパクト。競馬界の英雄と言われたディープインパクトの2004年阪神競馬場でデビューして2007年有馬記念引退レースまでの3年間を追ってみよう。
「ディープインパクト」は北海道早来町のノーザンファームで生まれた。購入者が瞳の輝きに衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けた。
2004年に阪神競馬場2歳新馬戦(芝2000m)で武豊を主戦騎手に据えてデビュー。武豊は引退まで手綱を握ることとなる。2着に4馬身の差を付けこのデビュー戦を勝利した。ここから「ディープインパクト」の快進撃が始まった。
翌年京都競馬場では最後方から直線でゴボウ抜きして「ディープインパクト」の名が一気に全国に広まった。更に中山競馬場での弥生賞で勝利しクラシックの最有力場に躍り出た。
皐月賞は[走っているより飛んでいる感じだったんで]と名言をいわせて勝利した。迎えた東京優駿ではレースレコードタイで優勝し二冠を達成。このとき武豊騎手は「ディープインパクト」は英雄というニックネームで呼ぶといった。
そして2005年菊花賞に勝ち三冠馬となった。
2005年の菊花賞で三冠馬となった「ディープインパクト」は、その後史上初の無敗でグランプリ制覇を目指して有馬記念に出走。ファン投票で1位を獲得したものの、ハーツクライに敗れ2着となり初黒星となった。初黒星を喫したもののこの年の活躍で年度代表馬、関西競馬記者クラブ賞を受賞した。2006年になっても活躍は続き、初戦の阪神大賞典で優勝、続く春の天皇賞でもリンカーンに3と1/2馬身の差を付け優勝し、武豊騎手は[この馬以上に強い馬がいるのか]と言い、2着のリンカーンの騎手横山典弘が[リンカーンは生まれた時代が悪かった]というほどの最高のレース内容だった。凱旋門賞出走という海外遠征が発表され、その前哨戦が京都競馬場で開催された宝塚祈念で優勝し、史上最速で収得賞金額10億円競走馬となった。いよいよ凱旋門賞出走となるのだが3着に終わり、レース後の検査で薬物が検出され失格となった。
海外遠征を果たし帰国した「ディープインパクト」は二ヶ月も経たないうちにジャパンカップに出走を決め、昨年の有馬記念以来となったハーツクライとの再戦と注目が集まったがハーツクライは喘鳴症が進行しており、直線で馬群に沈んだ。
いよいよ2006年12月24日引退を迎えた「ディープインパクト」は有馬記念を出走、2着に3馬身の差を付け圧勝、武豊騎手が[生涯最高のレースがてきた]というほどのレース内容で有終の美を飾った。
「ディープインパクト」が競走馬を引退し北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬となった。そこで行われた引退後始めての一般公開では約1200人ものファンが集まった。現在は「ディープインパクト」の父も過ごした功労馬厩舎で過ごしている。ディープインパクトの活躍は一種の社会現象を巻き起こし、三冠の懸かった菊花賞と海外遠征の凱旋門賞は大注目だった。競馬専門誌やスポーツ新聞だけでなく一般のメディアでも取り入れられ、「ディープインパクト〜無敗の三冠馬はこうして生まれた〜」というNHKスペシャルも放送されたほどだ。それにそれまで競馬を知らなかった一般層にもその名が知られ、2005年には流行語大賞にもノミネートされたほどだ。また経済面では関西大学大学院教授は観客動員数と売り上げの激増から、「ディープインパクト」によって262億円の経済効果があったと試算している。このようなことから競馬を若者や一般層に認知させたのは「ディープインパクト」と言っても過言ではないだろう。私自身も「ディープインパクト」のおかげで競馬ファンになったひとりだから。
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